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日本版6シグマとBSTプログラム |
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BMM【Belhyud Mail Media】 No.74 2005.9.27発行 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今なぜ、M5型組織なのか −行き詰まるM1型組織− 組織風土改革の必要性 多くの日本企業は過剰社員の整理や息詰まった事業のリストラには熱心である。しかし、経営者はこれまでの路線から降りるに降りられないでいる。運良くリストラを免れた従業員も、「家族を養っていくためには、今まで以上に会社にしがみつくしかない」と言うのが本音であろう。こうした状況の中で、日本企業の成長を支えてきた「和と協調重視のボトムアップ型組織」(M1型組織)が急激に求心力を失ってきている。最近になって、この組織風土の変容が組織の緊張感の欠如や責任感の低下が招き、その結果発生したと思われる不祥事があとをたたない。自動車会社のリコール隠し、食肉や食品添加物問題、金融機関のシステムトラブル等である。 政府の「構造改革なくして、景気の回復なし」というキャッチコピーは、企業に置きかえると、「M5型組織への風土改革なくして、業績の回復なし」であろう。作家の村上龍は、主宰する経済、金融問題を論ずるHP「JMM」で、「このキャッチコピーは、構造改革はこれ以上の非効率とロスをなくすために不可欠なのだというごく当たり前の事実を隠蔽することになった。構造改革は景気上昇をもたらすものではなく、ひどい破綻を避けるためのものだというアナウンスメントが必要だったと思う。プラスαを目指すためのものではなく、マイナス∞を避けるためのものだという宣伝戦略が必要だった」という趣旨のことを発信している。 「日本版6シグマ」では、これまでの経営や組織のあり方から脱却できない限り、無駄なコスト「COPQ」が際限なく拡大し、やがて「ひどい破綻」が避けられなくなるという考え方が基本になっている。村上流に言うならば、日本版6シグマは、「ひどい破綻」を避けるために、「COPQ」というマイナスを限りなくゼロに近づけるために、これまでの「M0型組織」や「M1型組織」を否定し、社員一人一人が問題解決に創造的に挑戦することが評価される「M5型組織」へ組織風土を転換し、組織の求心力を回復させ、これまでの疲弊した業務システムや仕事への取り組み方を根本的に見直していこうとする、企業の経営構造改革である。 日本の企業では成功体験に基づいた「和と協調重視のM1型組織」はきわめて完成度の高い世界である。一般的に経営トップのパワフルなリーダシップがあまり期待できない日本にあっては、個性や多様性を尊重する「M5型組織社会」への転換は極めて困難な仕事である。もちろん、アメリカ企業の組織社会についても同じであるが、GEの例でもわかるように、アメリカでは経営トップの強い、しかも長期にわたる「育成というよりは選択」というダイナミックな雇用政策によって、「M0型組織からM5型組織への転換」(People Out)が確実に進められてきている。 そこで、あらためて6シグマ活動における個性や多様性を尊重する「問題解決力のある組織「M5型組織」とはどんな特徴を持った「組織モデル」であろうか。目標とすべき「M5型組織」の特徴を明確にするために、先ず「指示統制と管理のM0型組織」と「和と協調重視のM1型組織」の特徴を明確にしたい。また、「絶対不滅」と考えていた日本の「M1型組織」が求心力を失ってきている道筋を整理し、「M5型組織社会」への転換の必然性も明確にしたい。 「組織は内外の環境変化に対応して進化する」という仮説のもとに、組織の「3つの進化」の段階別にモデル化することを試みた。その第一段階が、日本でも創生期型的な企業やオーナー企業に見られる組織のモデル化である。つまり、経営トップや上司の価値観や指示によって支配された組織モデルをイメージし、「M0型組織−唯我独尊・滅私奉公の組織」と命名した。最近話題になっている、堤さんが支配する西武企業グループは、この「M0型組織」がベースになっている企業のようである。 アメリカの企業に一般的であった「指令統制型の組織」も、このモデルに含まれる。この組織モデルでは、経営課題はトップや上司によって握られ、社員はあらゆる意志決定をトップや上司に依存する。命令は上位下達であり、部下は口答えどころか意見をのべることも一切許されない。仕事への取り組みは、原則的にマニュアルや指示命令書に従わなければならない。違反した場合は罰則が科せられる。管理者は監視、監督、指揮が仕事であり、部下が与えられた仕事をマニュアルに従って、きちんとこなしているかどうかチエックすることが、もっぱらの仕事である。 第二段階は、従業員を全人格的に会社にコミットする「会社人間」に仕立て上げ、成長路線をひたすら走って成功した日本の大企業に特徴的な組織モデルである。つまり、「個人の意識や個性」よりも「組織の和」が重視され、みんなが「タテマエ」を競って守り、「一本道」を歩調をあわせて走る「金太郎飴集団」をイメージし、「M1型組織−タテマエの世界」と命名した。 戦後の日本経済は、これまで四度の激しい変化の時期を通過してきた。第一は復興期である。第二は高度成長を続け、先進国をキャッチアップした時期。第三は石油ショックを克服し、安定成長に入った時期。第四はバブル経済によって円高不況が吹き飛ばされてしまった時期である。いずれの時期も激しい変化であったが、結局は成長線上での一本調子の変化の連続に過ぎない歴史であった。企業の課題も一律であった。「輸出拡大に向けて先進国の技術に追いつき追い越せ」、「競合他社に負けるな」という「横並び型競争」に勝利することであった。ここでは共通の体験、価値観をもとに、「同じモノの見方、考え方」ができる人間を育て、全体を一つの方向に結集する「M−1型組織」が重視された。日本企業にとっては、一貫して技術の優秀さや勤勉な労働力やチームワークに裏づけされた「M−1型組織」の力が武器であった。その結果、繊維、鉄鋼、造船、そしてエレクトロニクス、自動車へと、品質、性能、コスト面で、長期にわたって競争力のある産業が台頭し、「常に成長し続ける日本経済」という神話が生まれた。 この成長路線時代にあっては、経営の意志決定はトップのリーダーシップというよりは、多くは競合会社や世の中の動向との横並び路線の中で組織全体の同意によるものであった。この時代の経営にとって価値ある情報とは、競合会社や取引先の経営施策や国の行政機関の政策に関する外部情報であった。自社の経営実態や中長期計画は同じく重要な内部情報であった。管理者はこうした上から与えられた経営情報を切り売りすることによって部下や組織を管理し、現場はこれらの情報をもとに組織の合議で対応案を立案した。そして経営の最終的な意志決定は、稟議というシステムに依存していた。こうした意志決定のプロセスを通して、管理職のみならず現場の末端の社員までもが、経営を自分たちの問題として自覚し、主体的に業務に取り組む組織風土ができ上がったのである。 この「M1型組織」では、全体の秩序を乱したり、波風を立てたりする意見やアイデアは敬遠され、もっぱら周囲にまじめに同調する姿勢と行動が評価される。なかでも、決められた仕事をきっちりやる几帳面さがもっとも重視される。管理者は部下からのホーレンソー(報告、連絡、相談)をもとに、組織の協調体制を管理、維持していくことがもっぱらの仕事である。部下は同じ「一本道」を競ってひた走る。こうして組織はひとりでに金太郎飴的な同質的な人間、つまり「M1型人間」の集団になっていく。この意味で、「M1型組織」は、かつての右肩上がりの成長時代、決まったこと、決められたことを正確に効率的に実行し、実績を上げた日本の大企業に特徴的な組織そのものをモデル化したものであるということができる。 日本の大企業に特徴的な「M1型組織」は、成功体験に裏づけされたきわめて完成度の高い世界である。しかし、今日内外の多様な環境変化とともに、「M1型組織」の「タテマエ」そのものがおかしくなってきている。その大きな理由のひとつに、企業組織の人員構成の変化がある。かつての「団塊の世代社員」は既に50歳半ばになり、彼らを親に持つ若者世代がバブル時大量に採用されている。不況の深刻化とともに、パートやフリーター、派遣社員の割合も増え、こうした従業員の「意識構造や行動様式」が無視できなくなっている。彼らは会社の「タテマエ」を問題にしていない。しかし、真正面から逆らったりはしない。人間同士はタテマエではなく、ホンネでつきあうべきだと思っているが、ベタベタするのは好きでない。人間は人それぞれ、フイーリングや考え方が違うのはあたりまえ、生き方も人によって様々と考えている。彼らにとって、個々人の「好き嫌い」や「羞恥心」をお互いに認め合うことこそが、人間関係の原点である。一方で企業側にも背に腹を変えられない理由がある。長引く平成不況の中、過剰人員を抱え、これまでの終身雇用や年功序列制度を見直す必要性が出てきたことである。 「M1型組織」のタテマエは、こうした従業員の多様化と企業の制度改革という内部要因によって、なし崩し的に形骸化が進み、組織の求心力も急激に失われてきている。この「M−1型組織」の変容の過程で、特に目を見張る現象は、これまでの組織の「タテマエ」にとらわれず、「好き嫌い」や「羞恥心」といった個人的な都合や思いを優先させて生きる人間の増加である。そこで、このような「好き嫌い人間」や「羞恥心人間」が、その価値観や数の上で無視できなくなっている「M1型組織社会」の状態を、その変容ぶりのレベルに応じて、2つの組織モデルを設定し、「好き嫌いがまかり通る組織−M2型組織」、「羞恥心に支配される組織−M3型組織」と命名した。 「好き嫌い人間」の登場 「M2型組織」は、組織のタテマエやルールと真っ向から対立はしないが、会社や組織にとって大事かどうかという視点ではなく、すべてを自分にとって気が向くか、向かないか、好きか、嫌いかの視点で判断し、行動する、いわゆる「好き嫌い人間」が目立つようになった組織である。 彼らは気が向かないことや嫌なことは、会社の仕事でも巧みに避けて通るのが上手である。しかし、自分の気の向いたことや好きなことは、誰がどう評価しようともがんばり通すことができる。管理者はこうした「好き嫌い人間」的な部下を追い回し、何とか組織のタテマエやルールに同調させようとするが、最後はスリルと逃げられてしまうのがオチである。しかし、「M1型組織」は、こうした「好き嫌い人間」が少数である段階では、彼らを抱え込んで安泰である。 「羞恥心人間」の登場 最近、ある会社の現場の課長から聞いた話である。旅行のため休暇を申請してきた新人に、「今は忙しい時期だから、駄目だ」と言ったところ、彼は「駄目なら、仕方ないです」と言って、即座に会社を辞めて旅行に出かけてしまったという。彼らはいつも言行一致である。将来のことや他人の思惑など気にせず、今の自分の「思いや価値観」に忠実に生きている。彼らにとっては、自分の今の「思いや価値観」を犠牲にする生き方は「恥ずかしい」ことであるようだ。一方で、「羞恥心」に反しない限り、彼らは何でも平気で受け入れることができる。どうしても話が通じなかったり、妥協するわけにいかない場合は、反発したりしないで黙って「オリル」という「脱行動」に出るだけである。「羞恥心」に反する時は、「対立」ではなく「オリル」という行動に出るという選択は、「M3型組織」の「羞恥心人間」に特徴的な無視できない一つの生き方である。 こうした「羞恥心人間」が増えてくると、現実の「M1型組織」はどうなっていくであろうか。彼らは「M1型組織」の中で、自分の身を焼き尽くす対象を見え出せずに、自分には忠実でありたいという小さなカラを背負って生きているだけかもしれない。現実の社会の正体がつかめず、上っ面を撫でるだけで、半身に構えたり、半歩下がったりしているだけかもしれない。しかし、意識的にせよ、無意識的にせよ、自分を集中できる場面を求めて、チャンスを窺いながら、「一体何が本物で、何が残り、何がニセ物で、何が消えていくのか」を感覚的に嗅ぎ分けているのかもしれない。彼ら「羞恥心人間」の登場は、新しい価値と秩序の時代に向かう転換期に見られる健全な兆候なのではないだろうか。日本の拡大成長路線を支えてきた「M1型組織」は、長期化する不況、IT時代の到来とともに、非常にわかりやすい形で変容が進んでいる。間違いなく言えることは、特に若い世代の人たちに特徴的に見られる、「羞恥心人間」の組織への参加や関わりを拒否する「オリル」という「脱行動」によって、「和と協調」を第一とする「M1型組織」の行き詰まりは、急速に加速されていくに違いないということである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |