チェルノブイリ事故
サーミの生活に与えた影響

Melaine Blackwell
テキサス大学・社会学部
December 2, 2003
  

 
     

本当にご苦労様です。双葉町の方々の様々なご意見も身が引き締まる思いで拝見しております。原発被災をどう考えるのか、どう対処するのか、答えは一様ではないように思っております。
チェルノブイリ事故についての欧州の対策や反応」についても、国や地域によってかなりの違いがあったように感じます。その一例として、北欧政府がトナカイ飼育を生業とするサーミに対してとった施策などについての論文を送ります。(中村)


1986年4月26日の夜、スウェーデンおよびノルウエーのサーミの生活を脅かす事件が起こった。この事件は特にトナカイ放牧に携わっているサーミの生活を、経済面でも文化面でも激変させた。
ウクライナのチェルノブイリにある原子炉4基の1基が爆発したとき、その影響は千キロ以上離れた国々にも及んだのだが、スカンジナビアのサーミにとっては、その影響は食品汚染であり、文化的・経済的損失であり、健康へのリスクであり、ただでさえ追い詰められていた社会に更なる一撃を加えるものとなった。


チェルノブイリ事故で
放射性元素は西ヨーロッパ、ロシアへと拡散した
チェルノブイリ原子炉は原子力発電のために建てられた。1986年、停電時において水蒸気供給が停止しても残存するエネルギーによって発電できるかどうかをみるための、原子炉の性能をテストするために実験が行われた。
オペレーターは蒸気供給を停止し、手動でシステムを低電力状態に保とうとした。しかし、オペレータの予想を外れて、蒸気圧が徐々に上昇し、冷却水は沸騰に近づき、パワーはどんどん上昇した。その倍増率は1秒から千分の1秒にもなった。緊急制御システムを働かせようと試みたが、冷却水は急激に水蒸気となり、原子炉が爆発し、放射能火災が起きた。5千トンの石材と鉛をヘリコプターで投入し、鎮火したが、この間、放射性元素は大気中へ1000mまで吹き上げられ、西ヨーロッパおよびロシアへと拡散した。

チェルノブイリ事故では、放射性セシウム、ストロンチウム、プルトニウム、ヨー素が放出されたが、サーミにとっての特別な関心事は大量の半減期30年のセシウム137が放出されたことであった。
セシウム137は風で運ばれて春の雨で中央スウェーデンおよびノルウエーに高濃度に分布したが、北部では汚染レベルは低く、また、フィンランドやスカンジナビアの西部、南部では無視しうる程度であった。しかし数日のうちに、スウェーデンおよびノルウエーで危険なレベルの空気中セシウムが検出されることになった。

セシウム137は、サーミの生活で真っ先に食品供給分野をむしばんだ。爆発に次ぐ降雨によって、放射能放出物は淡水湖および内陸部の森林に降り注ぎ、魚、狩猟動物、ベリー類、その他の植物を汚染した。最も有害なのはスカンジナビアのトナカイの主食である地衣類の汚染であった。地衣類には根はなく、空気中から直接に栄養分を吸収するので、あたかも放射能のスポンジのような役割を果たして、大量の空気中のセシウム137を吸収し、それが直接にトナカイへと移行したのである。
地衣類は、完全に再生するのに30年を要する成長が極めて遅い植物である。それゆえ、いったん汚染された地衣類の放射活性は。20から30年経なければ安全なレベルに低下しない。このような汚染地衣類の影響はチェルノブイリ後の最初の秋の屠殺シーズンまでは自覚されなかった。研究者達が屠殺トナカイの放射能レベルの測定を始めたのは、その後だった。
スウェーデンとノルウエー政府の対応
1986年秋の屠殺シーズン後になって、スウェーデンとノルウエーの政府は急いで食肉業者の規制すなわち、安全レベル(Bq)の設定、影響を受けた放牧業者の補償に取りかかった。しかし、そのガイドラインは国毎に異なっていた。

スウェーデン国立食品庁は、放射線防護庁の定めをもとに、特定の食品について限度値を設定した。食品庁は直ちに、「トナカイ、狩猟対象獣、内陸魚について「300Bq/kg」の限度値」を超えたものの摂取は安全ではないので、販売を禁じる」ということを公布した。

防護庁によれば、この限度値は一般市民の長期的な平均放射線被曝量を自然に浴びる放射能バックグラウンド値と同等のものである。これは新生児を念頭に導かれたもので、汚染量の最大勧告値を新生児が年間に摂取する食品(ミルク)の量で割ることで算出したものであった。

スウェーデン政府は成人と子供に異なるレベルのベクレル値を、また、食品毎に別のベクレル値を勧告する必要はないとしていた。
新生児の限度値を超えるすべての食品は市販できなくなり、その結果、すべての成人は安全閾内に置かれることになった。この販売規制によってスウェーデンでは数百トンのトナカイ肉が不適とされることになった。不適となったトナカイ肉はすべて青色の印をつけ、穴に投棄されて埋められるか、ミンクやキツネ飼育場での餌として与えられた。
皮肉なことに、チェルノブイリ事故以前に屠殺されたトナカイ肉の中には、そのセシウムレベルがスウェーデンがチェルノブイリ後に決定した限度値を超えるものがあった。それは、ソ連が1950年代および1960年代にNovaya Zemlyaで実施した核実験によるもので、当時、トナカイは規制の対象にはなっていなかったのである。

チェルノブイリ事故で影響を受けたトナカイ飼育者は、1960年代のトナカイ肉の汚染レベルが1986年にスウェーデン政府が設定した限度値の10倍を超える3000Bq/kgであったことを知るに及んで、非常なショックを受けた。サーミ達は、もしも300Bq/kgという数値が食品の本当の汚染の安全レベルであるなら、何故ソ連の核実験の時に設定されなかったのかと心底疑ったのである。

そのため、スウェーデンは市販限度のベクレル値を徐々に上げ、1987年5月、「限度値を「1500Bq/kg」とした。それによって、ほとんどの放牧地域のトナカイの肉は安全となった。それまでにも、市販限度値の300Bq/kgは「リスクの閾値」であると考える人達がいた。かくして、放牧者には、食品庁が市販限度値を上げたのだから、トナカイの肉はより安全だと受け止めた者もいた。
次に食品庁は、サーミとサーミ以外とで肉の食習慣に違いがあることを根拠に、別の摂取限度ベクレル値を採用し、サーミに対しては「年間の放射能被爆値」が限度値を超えない限り「10000Bq/kg未満」の肉なら食することを妨げないとした。(年間の勧告被爆限度値は、食品のベクレル値(実態)X 食品の量で表される。)

2002年には、防護庁は当初設定したベクレル値はあまりに低すぎ、そのために不必要に数百トンものトナカイ肉を廃棄したことを認めている。300Bq/kgという限度値は1mSvに相当するもので、防護庁は、この被曝量による発癌リスクはわずか5万人に1人のレベル以下であると予想している。(チェルノブイリ以来の追跡調査によれば、平均的なスウェーデン市民の年間内部被曝量は1/100ベクレル未満と見なされている。)

今日では、トナカイ肉の300Bq/kgという基準値は低すぎた。それゆえ、1986〜87年にかけて、不必要に大量のトナカイ肉が廃棄されることになった。同様に、この基準値によって結果的にムースの肉も廃棄されることになった。セシウム137が300Bq/kgを超えていたとしてもトナカイ肉やムースの肉は食べてもよかったが、より質の悪い他の食品に代替されることになったのである。

実際、スウェーデンの1986年の屠殺シーズンには80%近くのトナカイが破棄されている。市場に出回るトナカイの肉を最小限にすることで、スウェーデン政府はすべての国民が食品購買の習慣の違いを無視してでも安全を保てるようにしたのである。1987年にベクレル値を上げた際は、放射能汚染で廃棄された飼育獣のロスはわずか20%になった。近年では、トナカイのロスは1%未満になっている。

ノルウエーでは、トナカイの市販限度値は当初1986年には「600Bq/kg」であった。1987年にはトナカイ肉は「6000Bq/kg」に引き上げられたが、他の食品では「600Bq/kg」 のままであった。ノルウエー政府は、高ベクレルのトナカイ肉を合法的に販売することによってトナカイ産業を救えると同時に、トナカイ肉は贅沢品なので、そのことが大方のノルウエー国民に大きな影響を与えないと考えたのであった。
しかし、1986年の秋には、ある南ノルウエー地域では肉のベクレル値は40000Bq/kgに達したものもあった。トナカイ肉のベクレル限度値を上げてもほとんど何の違いももたらさなかった。その証拠に、1989年にトナカイ500トンが高ベクレルのために殺処分されたのである。


放射能汚染の健康リスクについての混乱
1987年にスウェーデンおよびノルウェーでベクレル限度値が引き上がられて後、放射能汚染の健康リスクについての混乱が巻き起こった。専門家の主張は、"健康上のリスクはわずかである"というものから、"数百人の癌死を予測する"ものまで幅があった。
サーミ達は、「放射能レベルは大したものではなく、彼らにとっても次世代にとっても実際上健康リスクはない」とするもっともらしい主張と矛盾する州政府の高放射能カウントとそれに基づく飼育形態の改革要請に疑問を呈さざるを得なくなった。
あるサーミは、本稿の著者(Sharon Stephens)のインタビューで、同じチャートに基づいて、報告毎に違った安全摂取レベルを設定する国・政府が信じられないと語っている。

スエーデンの防護庁は事故後の1年間を通して、公衆への情報提供は困難をきわめ、健康リスクにおいても、"リスクはない"から"50年間に300人の発癌"にいたるという幅広い報告を行っている。
同様にノルウエー政府も、"実質的なリスクはない"というものから"チェルノブイリの結果として50年間に150人の新規癌が発症"という見方をしている。

スエーデンの防護庁は、「ベクレル値について早い段階では過剰に慎重な決定を行ったが、その後放射能物質の放出量についてよりよく分かってきたので、勧告値を変更した」と述べている。

牧畜業者は、問題とすべきは「ベクレル値x摂取量」であることは分かっていたが、依然として市販限度値を健康リスク閾値とみなすものもあった。それで、健康リスク閾値(市販限度値)が5倍に高められたとの理解が増すにつれ、牧畜業者のスウェーデン政府への信頼が失われた。「初めの時点で1500Bq/kgを限度値としていれば、事態はずっと違ったものだったであろう。

あるスウェーデンのトナカイ牧畜業者は、チェルノブイリ以前から市販限度値超の肉を食べているのに明らかな健康障害はなかったと云って、市販限度値を無視している。従って、彼らは危険はないと理解し、チェルノブイリ後も限度値超のトナカイ肉を食べ続けている。
サーミ牧畜業者への助成と補償
チェルノブイリ事故はサーミ牧畜業者の主たる収入源であるトナカイ市場に打撃を与えた。スウェーデンとノルウェー政府は、サーミ牧畜業者にそれぞれの国ごとに助成と補償を行うことを確約した。そして、市販できない肉についての補償、放射活性の低下策への援助と同時に、トナカイや飼料の放射能が完全に減少するまで、殺処分を続けるよう勧告したのである。

スウェーデンでの牧畜業への補償は、チェルノブイリ事故の結果とする範囲によって、高騰したり、変動したりした。Vilhelmia地域では、冬の地衣類による放牧前の8月に屠殺されたものの肉のベクレル値は低いことが分かったが、通常より早い屠殺は体重の軽いトナカイを生産することになり、かつ、通常の飼育サイクルとは異なって、ヘリコプターで柵に追い込むための追加費用がかかった。
そこで、州政府はヘリ代を負担し、早期の屠殺による肉重量減少分も補償した。また、政府は、トナカイを安全な放牧地へ輸送する費用を、その肉が市販限度値に適合することが証明されれば補償することとした。さらに、より安全な肉を提供するために地衣類の代わりの飼料を与える牧畜業者への保険も創設した。
放牧に代えて飼料を与えるのは余分な労力を必要とするため、牧畜業者の中にはベクレル値に適合するようにトナカイを移動させるより不適品としての補償の方を選んだ者もいた。北部サーミはスウェーデン人と同様に、漁業およびベリー採取への補償金を受け取っている。

ノルウエーのあるサーミは、チェルノブイリ事故後の最初の屠殺シーズンに汚染トナカイを大量に殺処分することで多額の報奨金を受け取っている。その時期のニュースでは、「山のような血まみれなトナカイの死体をトラクターで穴へ落とすサーミの凄惨な情景」が報道されている。ノルウエーおよびスウェーデンの北部、南部サーミにインタビューしたところ、このような情景はまれであったが、高汚染地と報道された事実は、彼らに大きな恐怖を与えたことは事実であった。


トナカイの放射能レベルを下げる助成と効果
ノルウエー政府は、秋の屠殺シーズンに先だって、トナカイの放射能レベルを下げるのを助けるプログラムを支援した。その一つは、他の地域からより安全な地衣類を取り寄せるもので、それによって肉のベクレル値を下げ、結果的により多くの肉を市場に提供できるようにするものであった。
他の施策も講じられた。すなわち、化学物質(PB)投与、および放牧地の地衣類の放射活性を下げるための土壌改良である。これらの努力によって、ノルウエー国民のセシウム137摂取量を半減させることができた。

現時点において、チェルノブイリ事故後のサーミ地域で、健康上あるいは生殖発生的な問題があるという確かな証拠はない。しかし、確かな証拠がないことをもって健康被害は起こっていないというのは間違いであろう。放射能の目に見えない危険によって実際の恐怖が引き起こされている。
ある匿名のサーミ婦人は、「ほとんどの人達は公式な安全宣言を信じたいと思っていると思います。なぜなら、さもなければ怖いからです。私はチェルノブイリ直後に妊娠しました。その当時、私の周囲には壁があるように感じた自分を思い出します。私は放射能汚染のことを読むことも人と話すことも望みませんでした。私の恐怖は特別なものだったからです。それが単に一般的なものであるなら、その恐怖を押し去ることもできたでしょうが。」

チェルノブイリ後の生殖に関連する恐怖、すなわち、流産、未熟児出産、障害児、幼児の死亡などは頻度が高いと必ずしも確認できたわけではない。それはサーミ達の漂泊・拡散型の生活様式から、統計をとることが難しかったからでもある。
また、放射線被曝後の発癌潜伏期は数年から30年にわたるので、サーミにたいしてチェルノブイリが与えた長期発癌影響はまだ確定できていない。チェルノブイリ事故以来今なお、移動放射線被爆モニタリング車でサーミの村を巡回し、住民の被爆レベルの測定を継続している。


サーミーに与えた影響、変化
チェルノブイリ事故後の世界に住むということが、サーミの文化や伝統習慣に影響を与えている。トナカイの死体の利用方法から飼育方法にいたるまで、牧畜業にとどまっている者達は習慣や信頼を少しずつ失ってきている。スウェーデン南部サーミのトナカイのオーナーは、その損失を次のように要約している。
「これは単に経済の問題だけではなく、私たちは何者なのか、どう生きるのか、トナカイや仲間とどう付き合うのか、という問題なのです。」

サーミは伝統的にトナカイの肉を食べ、肉以外の部分を生活に利用してきた。トナカイの肉を殺して食べることができないサーミは、文化的には無能力者と感じるであろう。サーミはトナカイの内臓から臓器、角、ひずめ、血液まで、すべてを利用する。食物、服地、糸、靴はトナカイから得るものであったが、それらは外から供給されるようになった。

チェルノブイリ事故後、サーミーはトナカイの枝肉を安全な地域の屠殺場から買うことができたが、それには血液も内臓もついていなかった。トナカイの死体を自分が望むやり方で扱うことができず、屠殺場から購入するよりも自分のトナカイを自分で屠殺するリスクをとる者もいた。

ある家族は彼らの伝統的な放牧方法を子供に伝えることができず、社会習慣が失われることを恐れている。サーミの女性や子供は、夏の放牧シーズンにも、男やトナカイと一緒に過ごすより、彼らの冬期小屋にとどまり始めている。また、チェルノブイリ事故後、男達は夏の放牧シーズン中に、伝統的な食物である魚やトナカイ肉による食生活に反して、缶詰食品を携帯することが多くなった。かつてノルウェーの町ではトナカイの肉を戸外で乾燥させるための棚でサーミの家を見分けることができたが、ポスト・チェルノブイリ世界においては、このサーミのアイデンティティともいうべき棚は失せつつある。

ノルウエーおよびスウェーデン政府は、多くのトナカイを放射能汚染のため廃棄せざるを得ないとはいえ、サーミが放牧から屠殺までのやり方の生活サイクルを妨げないように、できるだけ普通のやり方を続けることを奨励している。
いずれにしても、彼らのトナカイは汚染肉として、助成の対象として購入され、廃棄されることになった。あるサーミの両親は「トナカイに関する仕事が単なるまねごとなら、どうやって子供達にサーミであることの意味を学ばせることができるか分からない」と云っている。


サーミーは変化はしたが、消滅はしていない
9月になって子供達が学校に戻ったとき、かれらの話題はベクレルだけだった。彼らはお互いに、「湖の魚を食べたかい?」、「春の雨の中で歩いたかい」と聞いたし、弁当箱をあけて、「この肉は食べられるんだ。これはパパが北部で買ってきたものだから、たった300Bqなんだ」。
しかし、その後12月になると、だれもチェルノブイリについて、これ以上話せないことを知った。私は子供に「放射能が気になる?」と聞いた。9才の女の子が答えた。「ウウン、それは戦争と同じよ。それは現実だけど、もう過去のことよ。誰も見ることができないし、あなたやあなたの家族にそれが及ぶと考えない方がいいわ。」

幾人ものサーミ達は、公然と放射能のリスクを無視して、彼らのトナカイ肉を食べる道を選んだ。しかし、彼らが国からトナカイ肉への補償金を受け取る時には否応なく、放射能汚染のリスクを思い出さされたであろう。
また、放射能リスクはある季節に限定されたものだと考えようとする者もあった。それは、放射能測定は屠殺シーズンに行われたからである。放射能測定は、ある肉に不適合なベクレル値が検出された時に一時的に表面化するからである。普通に牧畜作業が行われている状況を見ていると、日常の作業によって、牧夫達は頭からチェルノブイリを消し去ろうとしているようである。

「サーミ」は、チェルノブイリの話題を探して、センセーショナルに報道しているジャーナリストンの犠牲者でもあった。ジャーナリストは、「原発の爆発による古いサーミ文化の悲劇的終焉」について書いている。あるサーミの女性は、彼女の子供の写真を撮っているよそ者に尋ねたところ、彼はそのフィルムのキャプションを「消えゆく文化」とするつもりだと答えたとと指摘している。メディアは証拠なしにサーミのライフスタイルの終末を大袈裟に報道したが、実際は、チェルノブイリによってひどく変化したものの、消滅などはしていない。


プルシャンブルーの開発
ノルウエーおよびスウェーデンではトナカイ肉の放射能汚染レベルを下げるために幾つかの方法がとられてきた。人工的な飼料を導入してトナカイの餌を管理することで、汚染された地衣類を食べさせないようにした。更に、放射能の心配のない肉を保つために、クリーンな地衣類を集めている。
ノルウエーの研究者達は、屠殺に先だって汚染レベルを下げるために、プルシャンブルーという色素を含む放射性元素吸着ペレットを開発したPBは腸管中のセシウム分子を結合して大きな分子となり、腸管から吸収されにくくなるので、トナカイの血流にのらずに排泄されるのである。
この技術によって、汚染地域での飼料を使った動物肉中のセシウム137を50〜75%、ミルクのセシウム137を80%下げることができている。

石棺の安定化
損傷を受けたチェルノブイリ原子炉からの放射能漏れへの対策として、残骸の周囲にコンクリートの石棺が建設された。石棺は放射活性に対して保守する必要がある。1998年には煙突の安定化、1999年には放射線ビームへの強化がはかられた。
BBCレポートによれば、2005年には、今後50〜100年間の安全性を保つために、石棺の更なる安定化が計画されている。これは長期間の検証を要するものであるが、チェルノブイリから放射性物質を除去して緑の土地に生まれ変わらせるか、現在のプラントの上に密閉されたドームを作るというものであるが、いずれも野心的な提案である

1995年、ウクライナは7ヶ国からの数億ドルの援助に伴って「チェルノブイリ原発を永久に閉鎖すること、それを1999年までに完了する」という了解覚書にサインした。ウクライナと援助国の間の覚書に関する条項や理解の違いから、閉鎖は最終的には2000年12月となった。


サーミー達の生き残りをかけた努力
ノルウエー・トナカイ畜産組合はBBCニュースで、「2000年には20000頭のトナカイが放射能モニタリングを受けたが、基準値を超えるものはなく、食べても大丈夫だ」と宣言している。しかし、この数はノルウエーのトナカイの推定数の10%しか代表しておらず、20年後でも平均汚染レベルは高い状態にあると推察されている。

スウェーデンおよびノエルウェーのサーミ達はチェルノブイリの爆発の破壊的な影響を克服しようと努力してきた。サーミの生計は、トナカイの冬期の食物である地衣類の放射能汚染によってほとんど根こそぎにされてしまった。トナカイ肉は法的な汚染基準の対象となり、その規制は広くスカンジナビア全域のサーミに影響をもたらしている。動物の殺処分は文化と経済の損失をもたらした。伝統的な飼育知識の共有が難しくなり、重要な収入源が絶たれた。

チェルノブイリ事故以後の数年、苦悶する牧畜業者に対し、汚染された動物に対しての補償金という政府援助の方式で援助がなされた。汚染地衣類の問題と闘うために、牧畜業者たちは人口餌を導入したり、クリーンな地衣類を輸入したりした。科学者は餌に放射性核種と結合するペレットを混ぜて与える方法を開発した。ポスト・チェルノブイリ世界でとられた、これらの根気強く骨の折れる手段の結果として、トナカイとサーミ達はスカンジナビアでなんとか生きている。


              
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