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ゴ−ルデンウイ−クの5月4日は、朝から雨だったこともあって、テニスクラブの友人と連れだって、上野の国立博物館に、「室生寺のみ仏たち展」を参観に出かけました。去年の夏の台風で、五重塔の屋根が倒れた杉の木で損壊したために、復興支援の目的で催されたイベントでしたが、去年の
春から夏にかけての法隆寺、当麻寺、長谷寺、山辺の道、明日香と、ひとりぶらり旅を楽しんだ最後の地が室生寺だったこともあって、懐かしい気持ちもあって、足を運びました。
ところで、右の写真は、法隆寺の夢殿の救世観音菩薩像(日本の国宝、朝日新聞より)
です。室生寺の仏像とは何の関係もないのですが、公開 研究会で話題にした仏像ですので、これを機会にあらためてあの時の話を整理して紹介しておきたいと思います。
「6つの組織モデルの話」の中で、「和と協調のM−1型組織」か らの解放についてふれましたが、この組織観はとりもなおさず、聖徳太子の「和を以て尊しとなす」という思想と対峙せざるを 得ません。このことに関連して、哲学者の梅原猛先生が、「隠さ れた十字架」の中で、次のような趣旨のことを述べています。
「聖徳太子の現し身と言われる救世観音は、光背が直接釘で 頭に止められている。哀れな太子よ、あなたの子孫を殺した者の 子孫は、一族の相次ぐ不幸におののき、太子自身にあなたの子 孫達の鎮魂を行わせようとしいる。怒れ、太子よ。あなたの内面 に鬱積している怨念を、激しい行動を伴う怒りに変えよ]。
「あなたは仏教という理想をもっていた。和を以て尊しとなすと 17条憲法の中で言っている。あなたの理想は和だ。怒り、恨み はあなたの理想 に反する。しかし、太子よ、あなたは知ってい る。和という言葉は、現支配者にとってはいつの場合も有利で あり、被支配者に とってはいつも不利であることを。和とは忍従 の別名である」。
「あなたの霊を薄暗い八画堂に押し込め、行動の自由を奪い、子孫の鎮魂を行わせようとしているこの残酷きわまる屈辱を、あなたは和を以て耐えようとするのか。和の道徳を捨てよ。太子よ、今こそあなたは、和の精神を捨て、忍従を捨て、微笑を捨て、あなたが説いた道徳を、今、あなた自身が弊服のごとく捨てねばならない。太子等身大のこの仏像には、救世観音という名がつけれている。その名ゆえに、太子は屈辱を受けた人間に許される唯一の権利である怒りすら奪われてしまったのか・・・・」。
(参照:創造的情報処理プロセス:小椋佳さんの話)
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